安蒜 政雄 旧石器時代編
約10万年前に誕生した現生人類は、アフリカを出て世界各地へ移り住んだ。
日本旧石器時代の石器群は、表土下の立川ローム層中、第Ⅲ層からⅩ層の時期まで連続して出土し、そこで跡切れる。
したがって、石器群が登場しはじめる立川ローム層第Ⅹ層の時点で、人類拡散の波が日本列島に到来したものと判断される。
人類が日本列島に移住した経路には、北海道を門戸とした北方ルートと、朝鮮半島・九州経由の南方ルート、それにフィリピン諸島方面から島伝いで九州に入る海洋ルートが想定されている。
第Ⅲ期の最終氷期最寒冷期では気温の低下で海が氷となり、日本列島と周辺大陸・半島との距離を大幅に縮め、所々に自然の陸橋もかけた。
旧石器時代人は、間近に迫った対岸へと狩りの獲物を追い求めて移り住んだことだろう。
このようにして、旧石器時代の日本列島には新旧2度にわたって人類が移り住んで来た。
人類の世界拡散に連動する第Ⅰ期の移住と、第Ⅲ期の最終氷期最寒冷期にはじまる環日本海旧石器文化回廊が背景となった日本列島への移り住みで、前者を旧移住(旧移住民)とし、後者を新移住(新移住民)とする。
日本列島内で発掘された旧石器時代遺跡の数は1万カ所を超え、東アジアのなかでも際立って多く、遺跡は関東平野部に集中する。
本州の中央部には、日本列島最大の狩場である関東の平野部に接して、石器石材に利用された黒色頁岩や黒色安山岩の大原産地赤城山麓(群馬県)がある。
その山あいを中部高地へと向かうと黒耀石原産地の霧ヶ峰に通じ、千曲川を下れば野尻湖周辺の狩場となる。
このように本州の中央部には日本海と太平洋とを横断するように狩場と石器石材原産地とが隣り合っている。
その関東・中部を中心とした本州中央部が、環日本海旧石器文化回廊が開かれた第Ⅲ期以後、右回りと左回りのミチ筋の終着地となり、ターミナル化するのである。
日本列島の旧石器時代にはナイフ形石器と槍先形尖頭器、それに細石器で区分され、いずれも剥片石器であり、ヤリの穂先の変革と歩調を合わせるようにして激しく変動した。
そのようななかでイエ造りとムラ構え、それに住まいの性格も大きくかわっていく。
日本列島の石器時代を特徴づける住まいは竪穴式住居で、地面よりも一段低く掘り下げた床があり、柱を垂直に立てる穴があって、中央には炉が設けられている。
これが石器時代の標準的なイエであり、縄文時代になってから本格化した。
旧石器時代の生業は狩猟と採集で、一個所に長くとどまることがなく、季節により狩場をかえ移動生活に支えられていた。
田名向原遺跡例のように柱穴や炉があり、まわりと区切る石を置いた住み直しがきく堅牢な造りのイエと、数本の棒を1点で束ねて円錐状に開いたような、柱穴の痕跡も残らない簡便な造りのイエの2種類があり、後者が圧倒的に多数を占めている。
第Ⅴ期の細石器文化では、2、3軒のイエごとにまとまる小さなムラが出現し、環状のムラと川辺のムラ、それに小さなムラという3種類の構えの違いがみられる。
旧石器時代は、植物の栽培や動物の飼育がまだおこなわれていない食糧採集の経済段階で、第Ⅲ期以降、主に北海道と東北の地を中心として河川漁撈がおこなわれたようだ。
しかし、日本列島には、湧別系細石器と矢出川系細石器が同化することなく、東西2つの分布圏が生まれた。
そして、自給自足の旧石器時代から、物々交換の縄文時代へ移っていく。
- 関連記事
テーマ:読んだ本。 - ジャンル:本・雑誌
- 2012/01/31(火) 07:00:59|
- BOOK
-
-
| コメント:1
■bittercupさま。
今年の冬は寒さが厳しいです。
三八豪雪には及びませんが、
先年の平成十八年ですか、の降雪に匹敵するようです。
いよいよ二月になります。
私は二月生まれで、寒さには強いと思ってきましたが、
老来、暑さには辛抱できても、寒さが堪えるようになりました。
春を待つ心境のこの頃です。
では、また。
- URL |
- 2012/01/31(火) 10:22:03 |
- sohya #-
- [ 編集 ]